土下座 | 鰹節の削り場

土下座

 さて、拙者は彼此一時間近く荒土と接吻をするなど激しい情事に身を委ねているところで御座る、というのもほんの気の迷い、詰まらぬ冗談であるが、何故拙者のような然程身分の低くも無い徒士がこうも易々と頭を低くしているのかと申すと、三尺一寸程時間を遡らせて頂くことになる。
 職が無く、ただ身分だけが付き纏っているだけの拙者は、冷風ふきたる余寒の朝に栄えもしない土臭い村をひたすら転々としていた。用心棒として雇ってもらうにも、この骨と皮だけの細身。なんと申せど門前払いである。
 日頃の行いが悪いせいか、はたまた貧乏神が付き纏いなさるのか、その後も様々な屋敷を回るも誰も彼も首を縦には振らなかった。あまりの空腹に目が霞み、頬は痩せ、肌の色は屍に近づき、いつしか村の子供らは拙者を「爪楊枝」と呼ぶようになった。初めは糞餓鬼と当り散らしていたが、もはやそこまでの気力は疾うの昔に失せ、武士であるばかりか、自分の名前ですら記憶し難いこことなる。
 もはや拙者の武士としての名誉もこれまで。何としてでも明日の糧が欲しかった拙者は、やむを得ず、気配のない農家に忍び込んで飯を軽く握り、沢庵一本添えて門を出た矢先、ふらりと右に崩れ、農具を押し倒してしまった。
 耳の良い農民である。今まで人気が居ないと思っていたが、奥から若い男が鼠の如く疾風の速さで駆け付け、一向に農家から遠のく気配のない挙動不審で痩せ細った武士を、襟首をぐいと掴んで、いとも簡単に引き戻された。
 正直首を上げる気力もなかったのだが、好奇心がそれに反して、仕様が無しに百姓どもの顔を拝見させて頂いた。
 若い男女。男はさして器量はよくなく、目は垂れ、鼻も垂れ、吹き出物とははくそで顔を埋め、歯並び悪く所々で口内を覗かせ、その口内からは吐瀉物のような表現し難い口臭を連続的に吐きかけており、それにより拙者の眉は八の字にひん曲がってしまっている。
 対して女の方は、米粒のような小さな鼻に雀ほどの小さい口と、円らな黒目が印象的なまだ幼さが抜けぬ美少女で、どう翻してもこの不細工とは釣り合わぬと内心で笑っていた。
「お前、爪楊枝でないか。何のようだがや」と腐臭を吐きかける。
「なに、たまたま空腹でこのぼろにふらりと入ったまでよ。」
「よくもまあそんな嘘が吐けるね。じゃあこの釜の隙間を説明してもらおうかね」と顔に似合わずこの小娘め、きついことを言う。
「はて、それは貴様らが奥で情事を重ねている隙に鼠小僧が忍び寄って昼飯を頂戴していたのではあるまいか」
 二人ははっと顔を赤らめる。やはりそうか。髪の乱れや身なり、体臭からしてそうではないかと思っていたが。ここまで態度に出ると想像も容易い、と思わずにんまりとしてしまった。
「こ、こいつめ。つけ上がれば抜け抜けと、殺してやる」と倒れた金鍬を持って構えた。
「ほう、百姓の分際で。思い知るがいいわ」と拙者は腰から刀を抜き出した。
 すると百姓ら、本物の刀に驚いたか目が点となっている。ふふふ、こいつは握り飯以外にも報酬があるかもしれない。ふらりふらりと体を左右に揺らしながらも拙者の手の感覚だけは憶えている。それもそのはず、これは名刀まさむね…。
 拙者の視野に映る名刀は既に面影なく、ただそこには粗悪な竹光が、百姓に向かって情け無さそうに構えらているだけであった。
 逃げるには今しかないと思い一目散に駆け出したが、ろくに整備もされていない土地と空腹で小石につまづき、頭を打つ。
 観念し、拙者は泣く泣く百姓如きに頭を低くしているのである。
「けっ、武士もここまで落ちぶれちゃあ形無しだぎゃ」と唾を吐きかける。臭気を放つそれでさえ今は取り払う余裕もなかった。
「武士は食わねど高楊枝じゃなかったっけ?所詮幕府が放った野良犬なんだね」などと暴言を吐き捨て、そればかりでなく小娘は裾をたくし上げて拙者の髷に向けて勢いよく小便を放った。その熱々とし、また生暖かい感触が肌寒さと融合し、屈辱よりもまず興奮を覚え、恥ずかしながら、えっと、その、あの、ぼ、ぼ、勃起をしてしまった。
 かなり溜まっていたのかその後も中々途切れる気配はなく、いっこうに降り注ぐ聖水。それが髷を伝い口元まで降りて来た時に、思わずごくりと飲んでしまった。いやはや、美味。空腹には勝てぬからにして、決して拙者の趣味ではないことを確認しておきたいが、拙者はそれをごくりごくりと喉を鳴らしながら口を潤した。
 しばらくすると小便の勢いは止まり、女は満足気な表情で私を見つめる。それが身分の高い者に対して日頃の鬱憤を晴らしたことによるものか、はたまた排泄による恍惚は知らない。女は体をぶるぶると小刻みに震わせると、今度は桃のように丸い尻を髷に向けた。
「お、おいおい。なにもそこまでやらんとでも」
「いんや、ここまでやらんと気がすまん」と菊の門をこちらに拝ませた。
 拙者は大口で待ち構えた。
 武士は高ねど爪楊枝。