マッド道化師 | 鰹節の削り場

マッド道化師

 過密なスケジュールは時として人を狂わせる。この小説は第三者視点なので時折不可解な描写が出るがそれはご了承願いたい。
 そう、元来生物は生き延びるための本能というものはありつつも、自由奔放に永らえていた筈だ。それが全ての生物においての天理であり、また全ての生物もそれに応じて生きてきた筈なのに、最近出たばかりの人間、狭めると労働者であるサラリーマンがその原則を大いに無視している傾向にあられる。
 何故か、それはまた生活の糧を得るためであり、はたまたマゾっ子Mちゃんであるからにして、後者である可能性はほとんど皆無だが今も尚そのような綿密なスケジュールが彼らの体に根付いている。
 そうだ、例として田中くん。今年で三十五歳の哀れな例を取り上げてみよう。
 本名、田中防人(さきもり)。某一流企業の一流社員である。勉強もそこそこに、悪く言うならば普通の社員であった。容姿端麗な妻に彼に似合わないほど才能に溢れた四才ほどの女児が一人。毎日彼の帰りを今か今かと待っている。しかし、彼に待っていたのは山積みにされた書類。あまりの量に彼の周りだけ密室になっているのかと思うぐらいだ。そして案の定その仕事を全て済ませることはなく、次に向かうは接待だ。
 彼の接待は社内でも評判であった。自社のお偉いさんに媚びることもなく、またさらでも相手方のお偉いさんを上手い具合に引き立たせるその業は、同期の者から「匠」と呼ばれる要因となった。しかし、どうやらここ最近元気がない。そりゃあ接待に行けば家には帰れず、下手な発言も出来やしない。何せひとつの仕事で億単位の金が動くのだから貧乏ゆすりの一つもしなければストレスを発散出来ないだろう。その間にポケットのヴァイブレーションが鳴るが仕事中相手方の失礼のないように彼は出ることはない。それに、自分に連絡を入れるのは大抵詰まらない仕事を押し付ける上司か、飯を温めて待つ嫁の二択しかない。この連絡は後者だった。
 もう彼此二ヶ月程自宅へ戻っていない。社内で寝泊りを繰り返している。そのため彼を知る周囲の人間は口々に「座敷わらし」とあだ名をつけては彼を貶す言葉として陰で囁きあっていた。
 しかしそんな田中にも趣味があった。それはスプラッター映画である。仕事で手の内がいっぱいになる前は、それはもう暇さえあれば十三日の金曜日やら死霊のはらわたやらモルグ街の悪夢やら、メジャーな物からもう既に販売を終了した物、挙句の果てにはスナッフビデオまで、兎にも角にもスプラッターというジャンル分けされたほぼ全ての作品を漁っていたのである。そしていつしか彼はチェーンソーを所持するようになった。無論、使用したことなどこれっぽっちもなく、ただただ飾って頬の肉を上擦らせるだけである。
 ある日、彼はとち狂った。理由はない。過密なスケジュールで思考回路がいかれただけである。
 そして引き出しから、今まで温めていたチェーンソーを取り出し、トリガーを引く。ギュルルルルルル。
 まず目に映る嫌な書類群を片付けた。ギュルルルギャギャ。
 次に目に映る嫌な上司や同僚を片付けた。ギュルルギャギャギャギャ。
 次に社長室で秘書を片付け、器用にドアをくり貫くと、社長の胴めがけて振りかぶった。ギュルギャッギャッギャッ。
 そして次に、自分の首にそれを当てた。ギーギャッギャッギャッギャギャ。
 過密なスケジュールが彼の人生を狂わせた。